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法恩寺
誕生日 1944/3/23
年齢68才
性別男性
血液型
職業無職
現住所福島県
自分で造った寺の本堂前に立ってます。
中国の衣を着てカッコつけます。いつもこんなんです。
ヨロシク。

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法恩寺
21175
2012年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
4月 4日(水)耳なし芳一(2)
2月28日(火)耳なし芳一
1月27日(金)ともだち
12月 6日(火)どんぐりコロコロ
11月19日(土)
10月 7日(金)お堂
10月 6日(木)無題
9月27日(火)七草に想う
8月 4日(木)無題
7月31日(日)蓮華

2012-04-04(水) 耳なし芳一(2) ページの上へ

耳なし芳一(2)亡者に憑りつかれた男。
 また明日の晩に同じ時刻に家臣を迎えにやらせますからと言って裏門まで送ってくれた。芳一がお寺に帰ったには明け方近くであった。住職の帰りも遅かったので、彼は眠っていたと思われ、知られることはなかった。次の日の夜半頃再び侍がやってきて、芳一を荘厳な広前と案内した。そこで芳一は昨夜と異なる詠唱をしたがその効果は素晴らしいものであった。しかしその日は住職に知られてしまい、帰宅した後住職の前に呼び出され、優しくたしなめられた。芳一は、お許しください個人的な仕事で断れず、時間も変更することが出来なかったのです。と言った。住職は不思議に思った。この目の見えぬ芳一に悪霊がついているのではないか。亡者に憑りつかれたとなれば大変なことになる。住職は寺男に言った。芳一は日が暮れればまた出かけるに違いない。よく見張っているように。と注意した。案の定その夜半に芳一は琵琶を抱えて出かけた。寺男はすぐさま提灯に灯をつけて彼の後を追いかけた。しかしその夜は雨が降ってきて、とても暗くてすぐに見失ってしまった。芳一は琵琶を詠唱して家々を回ることを生業としていたので、家々を尋ねましたが見つけりことはできなかった。あきらめて寺に帰ろうと思った時、寺の墓地から琵琶を弾く荒々しい音が聞こえてきた。闇の中に鬼火があちこち飛んでいる。雨の中でただ一人芳一は安徳天皇の慰霊碑の前で壇ノ浦の合戦のくだりを大声で詠唱している。その周りには鬼火がぐるりと群れをなして燃えていた。かってこれ程の鬼火を見たことがない。芳一さん。芳一さん。と呼んだが盲目の芳一には聞えません。寺男は芳一を抱えて耳元で、芳一さん芳一さん一緒に帰りましょう。と言った。しかし芳一はこのような高貴な人々の集う前で、そのようなやり方で私を邪魔するのは容赦できません。と言う。寺男は無理に芳一を捕まえて力の限り引っ張って無理にお寺に連れ戻した。住職の命令で直ちに濡れた衣服を脱がした。そして住職は芳一にその一部始終を説明するように迫った。芳一は観念して語り始めた。住職は。芳一君、あなたは今恐ろしく危険な状態にあります。このままの状態でいったなら亡者たちの魔力に支配されて、八裂きにされるところでした。しかし私は貴方の傍に居ることは出来ません。用事があって出かけねばなりません。しかし、出かける前に、あなたの身を守るために、ありがたい経文をその体に書き付けておきましょう。と言った。日が落ちる前に住職と役僧は芳一を裸にして、彼の胸と背中、頭と顔と首と腕、手と足、さらには足の裏まで、体の隅々まで、筆で経文を書き写した。写経しているとき住職は芳一に言い聞かせた。今晩は私は間もなく出かけますが、芳一は縁側に座って私の帰りを待っててください」。今夜もまた呼びかけられるでしょうが、何が起ころうと一切口を利かないでください。怖がらないでください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく。


2012-02-28(火) 耳なし芳一 ページの上へ

耳なし芳一
亡者に憑りつかれた男の物語。亡者とは死んでなお成仏できずに冥途をさ迷っている魂のことである。
今から約820年ほどまえに下関海峡の壇ノ浦において、平家と源氏の間で長きにわたり大合戦があり、最後には女子供を巻き込んで幼い安徳帝も海の藻屑と消えたのです。その後この地にはいろいろと不思議なことが起こった。亡者の仕業と噂され、その亡者を鎮めるために赤間が関に阿弥陀寺というお寺が建てられた。墓地も海岸近くに作られ、安徳帝や重臣の名を刻んだ墓石が多く建てられた。定期的に供養の法要も行われたので、その後不思議なことも減り、時折怪しげなことも起こった。それは平家の亡者が成仏していない証拠でもあった。
それから数百年して、その地に琵琶の弾き語りの巧みなことで世に知れた「芳一」という盲目の男が住むようになった。彼の得意とする段は壇ノ浦の合戦のくだりで、この段を詠んだら鬼神さえも涙をこらえることが叶わなかったといわれる名手であった。阿弥陀寺の住職もしばしば芳一を招いて語らせた。その後芳一の技に大いに感じ、芳一を寺に住むことを許した。寺の一部屋を与えられた芳一は、生活も安定し技も円熟していった。
ある夏の夜、住職は遠方の檀家の法要の為にお供を連れて出かけたので、芳一一人残された。それは蒸し暑い夜のことです。休むのには暑すぎたので縁側で琵琶を弾きながら住職の帰りを待っていた。夜も更けたころ、寺の裏門が開かれる音がして足音が近づいてきた。命令するように「芳一」と呼んだ。はいと返事をしたが住職ではない。私は目が見えません。どなたか見分けることができません。すると、恐れることはない。わしはこの寺のそばに泊まっているが、ふとお前の琵琶を聞き、殿が是非ともお会いしたいと申して居る。すぐに琵琶を持ってわしについて来てくれ。こう言われては嫌だといえず、草履をはいて琵琶を抱えて侍の後をついて行った。やがて侍は立ち止まり、開聞と叫ぶとかんぬきを開ける音がして、侍と芳一は中に入った。侍は、失礼します。芳一を連れて参りました。巨大な住宅のような感じで、女たちの話し声が聞こえてきた。高貴な家柄の一族だと分かった。芳一の為に座布団が用意されていた。それを進められ、楽器が調整されてから女の声で挨拶して言った。これから琵琶の伴奏に合わせて平家の歴史を詠唱してくださいませ。しかし芳一は迷った。これからすべてを詠唱すれば何日もかかってしまう。どうしようか迷った挙句、どこの場面がよろしいでしょうかと尋ねた。女は、壇ノ浦の戦いを詠んでください。と言った。芳一は声を張り上げて、無情な海での戦いの場面を詠唱し始めた。なんとすざましい名人だ。この国で芳一ほどの歌い手は他におるまい。聴衆の女、子供、侍たちはその凄ましさに怯え、嘆き、悲しみ、啜り泣きと慟哭が続いた。その後再び大きな沈黙に包まれた。女が言った。我々はあなたは琵琶詠唱の達人と信じておりましたが、正にその通りです。殿様もあなたに相応しい報酬を与えるつもりであるとたいそう喜んでおりますので、これから七夜毎晩殿様の前で披露してください。と言われた。             続く。



2012-01-27(金) ともだち ページの上へ

ともだち  僕には幼稚園年中組に通う男子のお供だちがいる。彼はお母さんと二人で暮らしていたが、お母さんは急病で亡くなってしまった。彼はおじいさんとおばあさんと暮らしている。とても活発で明るくとてもかわいい子供です。お母さんが亡くなった時におじいさんと知り合いだったことから、ぜひともお経をと言われて急いで飛んで行った。突然のことだったので気が動転してただただ涙お流しながら読経した。子供はまだ3歳だったのかな。お骨のなって帰ってきたときにはまだお昼寝の時間だったようでお母さんが亡くなったことを知らなかったようだ。僕も小学一年の頃母親をなくしたので、そのこうけいがダブッテ悲しい辛い思いをした。そんなことから月に一,二度伺うこととなりすっかりおともだちになった。彼の前に小川が流れていてとても風光明媚な、日本の原風景的情景のところでる。あるときテレビで[釣吉三平]の映画をしていた。その中で釣りエサには水生昆虫を採取するシーンがあります。僕の車にはたまたま釣竿が入っていたので、ボク!!釣りをしようかと言った。釣りエサにはその川で採った川虫が一番なのだよと言い川に入って水生昆虫を探した。その中で一番いいのが[黒川虫]なんだと教えた。子供は昆虫や虫類が大好きなのですぐに覚えた。その採取し方も覚えてしまった。僕が明日遊びに行くからねというと、おじいさんと一緒にエサの黒川虫を取って待っててくれます。釣りが大変得意になり秋まで釣りをした。晩秋になり寒くなって釣りもできなくなった頃、夕方チョットと言われて彼に誘われて出かけた。どこに行くのかなと思いながらも歩き出した。彼は何かボソボソいうのだが僕は黙ってついて行った。途中薄暗くなり、東の空に大きなお月さんが出てきた。
すると彼は「男のには飛び越えなきゃならないことがあるんだよ」と何度か言った。僕は足の神経痛が痛むので、あるくのが遅いのをみて彼が言ったと思いながらも、彼の境遇もわかるので、飛び越えるってこうかいと言って道路のガードレールを飛び越えて見せた。すると彼はそうじゃないんだよハヤサカさんとたしなめられた。それから少し行くと大きな15夜さんみたいな月が45度位まで昇った。
その下にひときわ光り輝く星があった。その星を見て彼は「あの星は僕のお母さんかな」とボソっといった。僕ははっとして何とも答えることができなかった。聞えなかったふりをして彼の後をついて行った。そう言えばいつだったか彼のおばさんがあのお星さんはお母さんだよと言っていたのを思い出した。また散歩の途中に道端のマーガレットの花を摘んで帰って仏壇に供えていたのを見ている。本当に素直でいい子なのです。僕は本当に人生最良のおともだちを持てたと感謝してる。
今度の日曜は彼のキッツスキー教室です。僕は何事も捨てて彼の教室に出席しす。


2011-12-06(火) どんぐりコロコロ ページの上へ

この童謡というか唱歌というのか解かりませんが、ご存知の人は多いと思います。
先日ラジオで聞いていてこれを作詞した人は宮城県松島町の出身とチラッと聞いた。早速詳しく調べようとしたがなかなか判りませんでした。しかし今は、インターネットという文明の利器があります。作詞者青木存義(あおきながよし)1879〜1985年の人で享年56歳。松島町の大地主のお坊ちゃま。然し只のお坊ちゃまではありません。大正時代の人で、宮城県尋常中学校卒と言いますから今の仙台第一高等学校から東京帝国大学へと進学した。今の東京大学文学部卒業した秀才だったのです。卒業後は東京音楽学校教授、文部省図書編集部長など歴任された秀才で、国文学者、唱歌作詞者、小説家、と言う肩書きもあり「我や人妻」と言う小説もあった。   時間切れ。  
    暇を見て又続きを書きます。ゴメン



2011-11-19(土) 涙 ページの上へ


3月11日の東日本大震災、それに伴い福島原発の爆発、放射性物質の拡散。参ったなあと言う気持ちで一杯です。心からホトホト参りました。震災翌日だったと思うが何かボランティアと思い津波の犠牲者のご遺体の供養のために遺体安置所に夢中になって通った。ふっと気が付いたらもうお彼岸になっていた。6ヵ月半も経っていたのです。ご遺体の発見も無くなっていたので、彼岸の明けに警察の係りの人に断って供養の読経を切り上げた。そして気持ちがホットしたのか気が緩んだのかボーとしている日が続いた。肩の荷が下りたような気分です。生活や気分が落ち着いてきたはずなのに最近やたらと涙が出るのです。来客や知人とこの度の災害の事を話していると必ず胸が詰まって涙が出るので困っております。でも涙が出た後はスッキリします。
 以前に人間は涙を流すことによって体の中のストレス物質も一緒に流すと言うことを聞いたことがある。その通ですね。僕は今まで安置所の読経に頑張って、気を張って夢中だったのです。そんな気持ちが開放されたとたんのことです。
 物理学者の寺田寅彦先生が「人は不幸を主観し苦しんでいる時は泣けないが、不幸な自分を客観し哀れむ態度が取れたとき初めて泣くことが許される」と泣くことの意味を分析している。加えて「泣くという行為は不快、不安、緊張の絶頂からの開放」だとも言っている。悲しみや不幸の真っただ中では泣けないことがあるけれども時間が経ち、次第に不幸の影が薄くなる頃、人は健康的に泣くことが出来る。
このときストレス物質も排出されるのだろう。そういう意味で泣くのは幸せを掴み取る行為なのかもしれません。とありました。
 僕の今の涙は健康な証拠かなと思っている。恥ずかしがらず涙を流します。悲しんだり、悩んだり、沈んだりしても埒があがりませんから涙を流し、ストレス物質を流し落として頑張るしかありません。よーし又頑張るぞーー。


2011-10-07(金) お堂 ページの上へ






2011-10-06(木) 無題 ページの上へ










2011-09-27(火) 七草に想う ページの上へ

七草と言えば春の七草、秋の七草と二通りあります。春の七草は正月の七日にお粥に混ぜる七種の若菜で芹(せり)薺(なずな)御形(ごぎょう)繁縷(はこべら)仏の座(ほとけのざ)菘(すずな)蘿蔔(すずしろ)の七種です。芹はセリ、薺は俗にぺんぺん草、御形は母子草、繁縷ははこべ、仏の座はタビラコまたはカスミソウ、菘はカブで蘿蔔は大根のことです。正月はお餅等の食事が多いので七日あたりに若菜のは入ったお粥などを食べることで体調を整えたり、若菜によりビタミン、ミネラル等を摂取することで胃腸をいたわる意味もある。又平安時代より続くもので邪気や病難を祓うという呪術的な要素の他に漢方薬的役割もあったようです。
ところで、今の季節は秋の七草でしょう。秋の七草は食用ではなく、観賞用ですね。萩(はぎ)、尾花(おばな)ススキのこと、葛(くず)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、桔梗(ききょう)、藤袴(ふじばかま)。の七種です。
桔梗は木偏に吉と更にが付いた文字で更に吉と受け止めて縁起のいい花とされている。花言葉には変わらぬ愛とか気品の意味がある。
戦国時代には吉凶を占う花として神前に捧げたという説もある。又理系的に調べて見たら面白いことがわかった。花には雌蕊と雄しべがあるが桔梗の花が咲いた時にはおしべ雌蕊共に未成熟で、見えませんがやがておしべが先に熟して花粉を放出します。そして雌蕊が熟して受精可能になった時には、この花には花粉がなくなっております。おしべと雌蕊の熟する時期をずらして同じ花の中で受粉受精が起こらないようにする雌雄異塾と言う現象です。自分の花粉を自分の雌蕊につけて子孫を残すのは望ましくないと言う遺伝の配慮だそうです。又子孫を残すと言う意味ではコスモスや彼岸花も同じで、多くの花が同じエリアで群生して同時期にいっぺんに花を咲かすのです。自家受粉ではなく他の株に花粉を付けたいのだと、植物学者は言います。植物はみんな一緒に花を咲かそうかなど示し合わせて一緒に咲かすのです。季節だけ合わせてもだめなのです。春と言っても初春晩春があり一月も二月も離れてしまいます。多くの植物は一週間ほどの間に花が全部咲き、時間までも決めて花を咲かす植物もあります。
実りの秋などと言いますが、実り豊と言うのは勿論植物が沢山の実を付ける事ですが、実はそのベースにある大切なものは多くの仲間と繋がっていることだ思う。
実り豊な仲間がいてこその実りある人生。実りある仕事も一人では成しえないのだと花は教えているようです。
東日本大震災に被災して間もなく七ヶ月となります。地域と仲間の絆を大切にして、頑張って実りある人生にしたいと願っている今日此の頃です。
彼岸の終わりになって遺体安置所の供養の読経も今日で終止しました。
大津波により横死された方、行方不明の方、身元不名の方のご冥福をお祈りします。
南無妙法蓮華経。三拝九拝合掌。     坊主。


2011-08-04(木) 無題 ページの上へ






2011-07-31(日) 蓮華 ページの上へ








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